リトアニア「国際ジャズヴォイス・コンペティション」出場記

リトアニア・レポート🇱🇹

2008年から続けていたexciteブログの人気記事をこちらに移行しております。
まずは、リトアニアで開催されていた”国際ジャズヴォイス・コンペティション”への出場が決まり、それを綴ったものです。
奇しくもその時期は2011年4月。震災の直後。
今でも鮮明に思えています。
日本代表として、国を背負って初めて降り立つリトアニアへ向かったことを。

国際Jazz Voicesコンペへのきっかけ

ー2011年2月19日記 前ブログからー

去年からmixiやTwitterで散々つぶやいていたのですが、「来年は絶対ヨーロッパへ行く!」と。
見飽きた人もきっと多かったことでしょう(笑)。
友人がヨーロッパの国々へ移住した去年。彼女達の結婚やベイビーのお祝いに是非行きたかったんですけど、仕事の休みの工面をし交通代や宿泊代まで出してはなかなか・・・。
ということで、何とか理由を付けて行くべく、ヨーロッパで開催されているジャズボーカルコンテストに応募してみました。実はこの時点で都市名も分からなければどこ国かも知らずに。
それもそのはず、英語じゃなかったんですよ、一部分がリトアニア語表記だったもので(汗)。

ご報告。
リトアニアで開催されている国際ジャズボーカルコンペティションのセミファイナリストに選出されまして、来月、ヨーロッパへ行ってきま~す!
本来と順序が何となく違うような。。
セミファイナルでは十数カ国の代表が世界中から集まって、ファイナルへ進みます。
この間、色々なイベントも用意されているらしく、また主催者側が色々と案内して頂くみたいで、各国のシンガーと情報交換したり、地元の人やミュージシャンと交流出来るのがものすごく楽しみでなりません!

飛行機は、ひとまずフィンランド航空でフィンランドのヘルシンキへ入り(空港で5時間待ちですがムーミンのショップがあるみたいで時間は軽々つぶせますよー、と旅行会社の担当者さんが。ラブリー)、エストニアへ飛び、リトアニアの最終地・バルト海に面した空港へ降り立ちます。
この話をした何人にも「安全性は大丈夫なん?」と聞かれました。
はて、全く分かりませんが、空港から用意してもらっているホテルまで全て主催者からピックアップしてもらえるみたいなので、きっと大丈夫でしょう。

しかし、主催者から連絡があって初めてリトアニアって国の地図を調べだした次第で、今、情報収集を始めたばかり。
1990年までソ連の統治下に置かれ独立。
ジャズ大国、だそうな。
2004年にEU加入。だけど通貨は独自。
言葉はリトアニア語。
そう、主催者とのメールのやり取りでの英語も、私が間違いを正せる位、文法や句読点の置き方が間違っているんですよ。アルファベットだから怖い!なんてないない!
だけど、行く前に少しはリトアニア語勉強しておかないと、ね(汗)。
現在、居住している日本人は51人。だとも。
おー、こーふん。
リトアニアについてご存知の方、色々教えて下さいね。

行く限りはファイナル進出頑張ります!って言うべきなんだろうけど、現在の私にとっては、今年ヨーロッパの空気を吸えると思うだけで気分高揚なのです~~。

それまでに日本での演奏やSky End ツアー、ビッグバンドとの録音等、盛り沢山なので、ひとまずこちらに集中して。


リトアニアへ日本代表で行ってきます

ー2011年3月29日記 前ブログからー

いよいよです。昨日までの仕事を終え、ようやく渡欧準備に取り掛かりました。
えびせんやマグカップ・チキンラーメンも買ったので安心です。
醤油味が恋しくなる事だと思うので。気分を落ち着かせるには胃からかな、と(笑)。

以前の日記でに書きましたが、リトアニアで開催される国際ジャズヴォイス・コンペティションのセミファイナリストに選出されました。
明日、リトアニア入りします。
関西空港→フィンランド・ヘルシンキ空港→エストニア・ラガ空港→リトアニア・パランガ空港というバルト海を越えた長旅です。

コンテスト主催者からは震災後から続々とメールが届いております。
「君や家族は大丈夫か?」
”We are always with you.”
昨日は別の方から、
「毎日NHKニュースで観ています。」
「美しい日本に起こった大惨事に胸が痛みます。」
”We pray for Japan.”
まだ会った事も無い遠い国・東欧の人達からそういったメールを頂き、目頭が熱くなる思いでいっぱいです。

国際コンペなので約10カ国位から集結するにあたり、主催者も準備も大変のようです。
出場者各々にコーディネーターが付き、空港到着時刻にカード掲げて空港まで送迎。帰りもしかり。
4つ星ホテルも用意。
街のレストラン地図も事前にメール連絡あり。
カルテットとの本番リハーサルは1人につき約1時間も取ってもらえるようで、既にタイムスケジュールは確定。
フェスティバルも併設されているので毎日街は音楽イベントがある様子。
しかもホテルの地下にはジャズクラブもあり、毎晩夜中はジャムセッション。
・・・私のリハーサル出番が毎度早朝で、セッションは相当キツイだと見た・・おまけに時差ぼけも・・(涙)。
ちなみにセミファイナルとファイナルが行われるコンサートホールのWeb
独特な空気漂っているなぁ。

まぁそんなこんなで行ってきます。

ファイナルまで残れたら、これをステージで着ようと思います。

photo by Mr. Kishi
3月にSky Endで出演した時の衣装。
赤字に白いドット。
震災前に何気に購入してたんですよ。
今まで国旗を意識したことって無かったのですがね。
ファイナルで着れる為にも頑張ります。

どうしようもない位ヨーロッパへ行きたかった去年。
国も分からず応募したコンペ。
渡欧が決まってから調べたら、何と日本と大きな関わりもあったことが判明。

第2次世界大戦中、ドイツとソ連の情勢を探る目的で開設された日本大使館に杉原千畝さんという方が勤められていらっしゃいました。
ナチスドイツから迫害を受けたユダヤ人達に日本の法律を無視して、日本通過ビザを支給して約6000人のユダヤ人達を助けたそうです。
リトアニアには彼の功績を称えてSugihara通りもあるそうです。

この時期に日本からリトアニアへ。。
人生って不思議なものですね。
リラックスして挑みたいと思います。

ちなみに、妹からポータブルWi FiとiPhone(電話機能無し)を借りました。
昨日から何とか使い方を探っています。
恐らく文字だけならブログやTwitterに書けるかもしれません。

では行ってきます。


リトアニア・レポート その1

ー2011年4月12日記 前ブログからー

それでは、徐々に回顧録としてレポートを書いていくとします。

まずは、経緯は上記の通り、単純にヨーロッパへ行きたかった、という理由で。
たまたまPC内に持っていた情報だったということ。
行くなら音楽も見て来たいし、自分が歌えるなら尚良し!
ということで応募日ギリギリに応募。
限られた時間内に念入りに英語プロフィールや応募規定の音源チェック、この時点で発表された、出場が決定した時に本番で歌う課題曲やその順番も選考されるので要思案→Go!
でセミファイナリストに選ばれましていよいよ渡欧。
そう、欧米のコンペティションには日本と違って課題曲というものがあります。
応募者全てに公平にそれが発表され、同じ時間を掛けて練習し本番に臨むというもの。
セミファイナルとファイナル両方には繰り返し歌えないので、この時点で本人の選曲が大きく左右するもの。
曲はヴォーカル物もあるが、よりインストゥルメンタルな曲を重視。
インプロビゼーション(スキャット)は必須。
バンドは現地のサックス入りカルテット。彼等用に事前にアレンジ譜も送れねばならない。
、、を諸々準備し、いざ出発。

関西国際空港→フィンランド・ヘルシンキ空港→ラトビア・リガ空港→リストニア・パランガ空港という長旅。
ラトビアに入った途端アジア人率低し。
何か、ちらちら見られていたんだけど、それは後で同じく出場者だったことが発覚。


機内からの一枚。これはバルト海に面したラトビア上空。まだまだ雪が。

リトアニアのパランガ空港へは、デンマークのコペンハーゲンとラトビアのリガ空港からしかの発着便がなく、3月30日に到着予定の出場者達は二手に分かれての到着となった。
コンペティション関係者がバンでお迎えして下さると聞いていた。
ゲートを出ると美しい女性のグループがあり、これだ、と確信。
中の1人がコンテストのプラカードと私の名前を掲げたカードを持参されて向かう。
私のスーツケースの大きさに全員驚く。(普通だと思うんだけどな、日本では。。。)
簡単に挨拶を交わし、6カ国から来たシンガーでバンに。
その内の数名から「日本から来るシンガーが居るとウェブで知り、毎日彼女は来れるんだろうか、と心配していたのよ。」と言われた。
早速、被害状況などを説明。
そうする内にコンテストのあるクライペダ市へ入り、用意してもらっていたホテルへ到着。
コペンハーゲンからリトアニア入りしたシンガーのグループも到着していて、若くて美しい女性シンガーのグループがさらに拡大。私は、ただただ見とれてしまっていて(笑)。

ホテルは主に2人でシェアするようではあったが、私が大変な状態の日本から、一番遠い国からで時差もあることを懸念して1人でツインルームに宿泊出来るようにして貰っていたようなんだが、それを知ったあるシンガーが「私、日本の彼女と一緒にシェアするわ!」と勝手に名乗り出る。
みんなの前で「それは嫌だ!」とは言えないし、結局あれよあれよと流れに身を任せてしまった。。
・・・NOと言えない日本人な自分にトホホ・・・。
日本だったら大体「貴方、本当にいいの?」と関係者が聞くだろうが、外国では私が何も言わない=二人で交渉は済み、納得したもんだものだと思われる。
ここは外国だ、NYに住んでいた時慣れていた洗礼だが、すっかり日本の生活で忘れてしまっていた(笑)。

さて、部屋に入り彼女と少し話を。
何か話が進まないなぁ、と思ったら彼女の英語力が少し乏しく、到着後からいきなり苦労することに。
疲れきりお腹もすいたけど、見渡しても街のネオンが無い。日本とは大きく違う。
到着したシンガー達とホテルのバーで食事。

リトアニアはEU加盟国でも通貨はリタスという独自の通貨を使用している。
会計の時、意外な事にヨーロッパ在住のシンガー数人がユーロで払おうとしていて、困っていた。
私は日本でリタスに換金できなかったので、ユーロを持ち、乗り継ぎのラトビアでリタスに換えていたのでセーフ。


リタス

チキン入りのサラダを頼んだが、量が少な過ぎて、ドイツのシンガーとブツブツ文句を言ってはすぐに平らげてしまった。だけど物価は安く、かなりチープ。
アメリカからのシンガーが「6時間以上も掛かって疲れたわよ~。」と言っていて、私がふと「日本からは、ほぼ1日に近かった、、、。」と言うと凄く申し訳なさそうに「Sorry.貴方に比べたら何てこと無いわよね」と気を使わせてしまった(笑)。

さて、食事の話の後に何ですが、トイレ。
東欧や北欧の方はこういうボタンを押して水を流す。
リトアニアでは大小の違う面積のボタンがあり、使い分けるみたいだ。

それぞれの国のシンガーとの初めての夜は楽しく、早速色々と情報交換。
ヨーロッパの人は最低でも3ヶ国語は使い分けれるので英語は皆普通に話すことが出来る。
だけど・・・たまに私には分からない単語や発音が。
そうか、みんなイギリス英語の単語を使い、それにブリティッシュアクセントなんだ!と途中で気付いた訳です。
“waTer” “I cAn’t” みたいに。
アメリカからのシンガーは生まれはロンドンだそうで、彼女も完璧ブリティッシュアクセント。
何か、私だけ”waDer”みたいなアメリカンアクセントで、何となく恥ずかしく、いつの間にか彼女達のブリティッシュアクセントに近付けてしまう、ザ・協調性大な日本人になってしまっている自分に驚く。

私が疲れと安堵で意識を失いかけたので(笑)部屋に戻る事に。

部屋に戻ると一緒になったシンガーが、「私、明日のリハーサル時間遅いし、ゆっくり寝るので起こさないでね。」と。
私「私も相当疲れてるけど、明日のリハーサルは早朝だから早くからバタバタするよ。」
と念を押しておく。

時差ぼけで私の朝は早すぎた・・・。
隣に居る彼女に迷惑掛けない様にお風呂と身支度。が、かなり疲れた・・・。

さて、ホテルのブッフェへ朝食だ。

次へ続く。


リトアニア・レポート その2

ー2011年4月15日記 前ブログからー

さて、セミファイナルリハーサルの1日の始まり。
朝食の為ホテルのレストランへ一人で移動中、同じ方向へ歩く若い男性2人と一緒になった。
「ひょっとしてコンペの参加シンガー?」とお互い口を揃えて聞き合い、レストランで同席。
「君は、、日本からだよね?」
「あなたは、、ポーランドからでしょ?」(小指のキミ!と言いたかったが、これはまだ言えず、笑)
「僕は、クロ○○○から。」私「えっ、何て?」(男性シンガーはもう一人、クロアチアからのはず、、、。)
そう、人生初クロアチア人に会い、英語発音を初めて聞いた。
”クロエイシャ”と正しくは発音するそうな。
リハーサル時間表の名前を見て、何とか早速名前で呼び合おうとトライするも・・・名前も大変。ここは素直に、
「どうやって貴方たちの名前を読んだらいいの?」と聞く。
「僕はWojciech、ヴォイテック」「僕はDanijel、ダニエル」だと。
ヨーロッパの人の名前すら読めない!!(汗)
この時、滞在中は色々と大変だろうけど楽しもう、と自分に誓った。

さて、コーヒーをポーランドの彼は飲もうとしていて、、、。
ミッション1 小指チェック
・・・立ってない!?(笑)
あのプロフィール写真の衝撃を忘れられなかったので、ここも素直に聞く。そしたら、
「国でケータリングのあるパーティーでの演奏をする用にネタで撮ってもらったんだよ。他にも写真は提出したんだけど、何故かあの写真ばっか使われててさ。」と。
「日本で既に貴方のファンがいるから、写真撮らせてよ。」
「いいけど、小指を立てた?」
「YES」


で、交渉済みの一枚を。ちなみに彼、今年のグランプリでした!素晴らしいシンガーでしたよ!

はじめからあまりの会話の楽しさについついヒートアップ。
ヴォイテックはまだ23歳。大学でジャズを学んでいる。お父さんは有名な俳優。お母さんはグレゴリアン聖歌隊を率いるクラシックシンガー。彼も常にサポートで歌っている。聞けば既に国で数々のコンペでグランプリを獲っていて、それはジャズヴォーカルというジャンルに限られたものでなく。
大学での授業風景も聞くと、相当な数のジャズ曲を演奏し、歌詞は勿論のことコード進行もすべて12キーでインプロ出来ないといけない。
ジャズのパフォーマンス自体(ブッキングやセルフマネージメント含め)には今はあまり興味がなく、アカデミックに学ぶ事と他ジャンルの音楽やソロに興味あり、だと。あれだけ凄いステージやってのけてこれだもの。
ポテンシャルの高さに驚ろく。

ダニエルはファイナルまで進んだものの、規定の時間を大幅に超えるパフォーマンスだった為、審査対象外になってしまったが、パフォーマンスそのものは素晴らしく、まだ24歳なのに円熟味のある歌唱と堂々たるステージング。
コンテストだけど、自分のステージをリトアニアの観客とミュージシャンと作って行ければそれで良いと思っている、と。
私と同じ考えだったので、早速意気投合。
聞けば、現在は国の大学でジャズを学び、現在はドイツでジャズを歌っている、と。
何と彼は私のNYの師匠シーラ・ジョーダンにジャズを勧められてプロで歌いだしたらしく、またインストゥルメンタル的な現代男性ジャズヴォーカルの第一人者マーク・マーフィーを敬愛しているらしく、私がNYで彼のレッスンを何度か受けた事ある、と言うと非常に興奮していて、質問の嵐に遭った(笑)。
だけれど、音楽的に影響を受けて研究しているのはラヴェルやデビュッシーだと。そう、クラシック。
ダニエルも相当なジャズ曲を知っていて、この男性シンガー2人がいると、普通に英語で会話していても、関連性の高い歌詞のある何かのジャズ曲を直ぐに歌っていく。
それでもって、彼らのインプロビゼーション(即興)力は凄く、普通にチャーリーパーカーが横で吹いているようなフレーズをさらっと口ずさんでいたり、一人がメロディーを歌っていたら、一人がベースラインやパーカッションを歌ったり。

・・何か私は凄いところへ舞い込んでしまったらしい。。。
と、滞在中、毎日そう思うようになるとは、想像すら付かなかった次第で。

さて、朝食を終え、部屋でまだ寝ているシンガーを起こさず私はリハーサルへ。


ホテルまで係りの人に迎えに来てもらって、会場入り。あとから続々と他のシンガーも。
凄く綺麗なコンサートホール。2階のオペラ席まである。
既にリトアニアのシンガー達からリハーサルが始まっていた。
一人約45分。
リハーサルの順を考慮された控え室も用意され、私はピアノのある部屋に通された。
ラッキー。
前夜着いたばかりで、まだ地に足が着いていない感じ。
早朝に発声を。だけどいまいち、今どの音域を出しているか、つかめない。。。
練習していると、素晴らしいリトアニアのシンガー達の歌と、ミュージシャン達の音色。
リハーサルだけどあまりの勢いに発声どころでなくなった。
とにかく、すごい迫力だ。それから、すごいスキャットと、アレンジ構成。
圧倒されてしまった。

さて、時間通り私の番。
うわっ、ホンマに美しいホール、というのが初めの感想。
ここで現地の最高のミュージシャンと歌えるだけで、もう最高ー。
ドラムの人とサックスの人が特に素晴らしく、急遽、彼達をヒューチャーしたアレンジに変更。
サックス以外の人はあまり英語が出来ず、彼に英語でしっかり明確にアレンジやソロのタイミングを伝えて、事なきを得る。
言葉が通じなくても、譜面や身体での指示が出来れば、国境は越えられる、と再確認。
立ち位置やモニター、楽器のバランスの確認をして私のリハ終了。

その後、主催者と出場者全員が集まり、ミーティング。

 


私、どこかで間抜けな顔してます(笑)。
セミファイナリスと全員の紹介。Kaoru Azuma と呼ばれ前に出る時、何人ものシンガー達が「Japanからよね・・・。」と心配そうに、声を揃えていたのが耳に入ってきた。
一人一人にIDと現地情報、また滞在中の一日3食分の食事券も入ったファイルが渡される。ありがたい。
昨日まだ見なていなかった参加者も続々とホールに。
みんな身長高いし、若くて綺麗ー。

さて、指定されたレストランへランチだ!

次へ続く。


リトアニア・レポート その3

ー2011年4月19日記 前ブログからー

Day 1 ランチ 「ラバ・ディアナ=こんにちは」
コンペティション関係者の方から一日3食分のチケットを頂き、お陰で苦労して換えた通貨リタスをすっかり使う間も無い状態でした。(嬉しい悲鳴)
食事は、普通に美味しかった。
毎回色々なスープが付いて、ポテトが使われていたのが多かったかな。
メインには必ず肉は付き、結構固めにローストしているものを滞在中口にした。
だけど、フライドライスも付いてたけど、炒め過ぎて固かった・・・。

ドリンクにはライ麦、がピッチャー底に入っていたりして、アルコール入りなのかどうか分からないほど、麦芽で黒々してた感じなのが印象深い。味も酸味が利いていて不思議な感じ。
よって、ライ麦パンも黒くて、味が濃くて独特で美味しかった。

さて、ここでコンペティション参加のガールズ・シンガー達との会話。
今回は、14カ国からのシンガーが集まっており、この時は全員とは話してなかったものの、約3分の1のシンガーが現在イギリスはロンドンに住んでいる事が発覚。
何故かというと、演奏する土壌やクラブが多いこと。
出身国ではジャズ教育を大学で受けたものの、大学院でロンドンへ移っていたり、また音楽以外のドラマシアター系の教育機関で学んでいたり。
そう、”実は国では女優をやってます。舞台やTVに出てます。オリジナルやポップス歌ってます。”
って子が何人も居たり(驚)。どうりで垢抜けて綺麗な訳だ。

それから、英語をしっかりとマスターする為に、という子が多かった。
ヨーロッパ人は何ヶ国語も話せるが、ジャズヴォーカルとなった時、歌詞は英語。
それに最近はオリジナルや器楽奏者のソロに歌詞を付けるヴォーカリーズと言われる事も世界レベルでは必須。
そういうこともあり、書く為のしっかりとした英語を学ぶ為、と言っていた。

・・・英語を日常的に使わない日本に居るジャパニーズ・ジャズシンガーにとって、非常に驚くべき事であり、私達は一体彼女達の何倍も学ばなければいけないのか、、、。

そして、各々の好きなジャズヴォーカリストの話をし始める。
イギリス在住シンガーが多いためか、やはりNorma Winstoneを筆頭に話始める。
最近彼女はヴォーカル数人とのプロジェクトをしているらしく、それが特に良い、と聞いた。
アメリカからはTierny Suttonの名前もよく出た。
後は、ヨーロッパではシンガーズ仲間ではよく口にする人達でも、私は初めて耳にする名前も多々あった。

その中で、私はアメリカからのシンガーで現在マンハッタン音楽院の大学院で学びパフォーマンスをしているシンガーと話が弾んだ。
NYで活躍中のシンガーから彼女は沢山レッスンを受けていたり、私が最近好きなシンガーとも交流があったりと、NYジャズの世界は意外と狭かったりする。
Kate McGarry, Madeline Eastman, Gretchen Parlato, Theo Bleckman, Sara Serpa etc…
ノルウェーからのシンガーとは、「ノルウェーと言えばKarin Krog!」と私の好きなシンガーの名前を出せば、彼女が現在通っているオスロ大学の先生だ、と話が弾みまくった。
世界は一気に狭まった。

そこで、逆に私が質問を受けることに。
この間アジア人ジャズシンガーをフランスで聴いてすごく良かったけど、日本人?
「ユンソナって言う名前。」
私「・・・その人のCD持ってるし、知ってるけど、フランス在住韓国人よ。日本人じゃ無い。」
「○○キム、って人もどこかで聴いたけど、この人は?」
私「・・・初めて耳にする名前で知らないけど、日本人じゃないのは確か。」
全員「・・・じゃ、国際的に活躍していてお勧めの日本人ジャズシンガーを教えて。是非CD買って聴いてみたいし。」
私「・・・楽器では沢山いるけど、シンガーでも・・・。」
答えに困り果てていたら、ある国のシンガーが
「じゃ日本のジャズヴォーカルはまだ成熟していないってことね。」
と言われ、内心ムカツイタけど、やっぱり誰かって言えない事実に自分でも驚いた。
そこでみんなが、
「私たちにとって、KAORUが人生で初めて会ったジャパニーズジャズシンガーだわ。」
と。

複雑な気分だった。

こんなにジャズクラブやCDショップが未だ沢山ある国は珍しく、また人口も多い大国・日本。
CDもヨーロッパからも沢山輸入し、今じゃ欲しいものは何でも手に入る。
だけど、この国から世界へ向けてのマーケット、ジャズの世界、ましてやジャズヴォーカルの世界って広がっていないんだ、と思い始めた。
英語能力? オリジナリティー? etc… 何だろう?
国内ではやれメジャーだの何だの言ってるけど、それって国内で、よね。。
結局、自らが海を越えないとやっぱりまだ駄目ってこと???
と色々日本のシーンについて考え始めた訳です。
アメリカに居るときはニューヨーカーの1人だったので、敢えてこう考えたことは無かったんだけど。

ほろ苦い思いを残し、コンサートホール近くの音楽学校で練習させてもらえることに。

街の様子。Klaipeda city in Lithuania

 

 

 

リトアニアは複雑な歴史があり、20年前に旧ソ連から独立したばかりの国だが、第2次世界大戦中は、このビルのバルコニーにナチスドイツのヒトラーが立ち、侵攻開始宣言をしたそうな。その時唯一背を向けていたのが、この女性の像、だったと聞いた。

次へ続く


リトアニア・レポート その4

ー2011年4月23日記 前ブログからー

前日に何故か部屋が一緒になったシンガーに「やはり一緒の部屋で過ごすのは無理だ。」と話を切り出し、彼女自身も「私1人が良い。」と言い出し(訳が分からない。。怒)、コンペティション関係者に事情を説明し、有り難く元通り私1人の部屋にしてもらった。
が、途端に寂しく(爆)。
知らない国に全く1人。それがどれだけ孤独なことが思い知らされた。ましてや名目はコンペティション。
日本と連絡を取ろうと部屋からの電話を使うにも、説明書はリトアニア語のみで使用が分からず断念・・。
部屋では妹から借りたiPhoneの電波が入らず、ホテルのインターネットを使うにもロビーにあるPC一台のみ。しかも日本語、全く表示されず・・。
そして日本からの電子機器を充電するにも、コンセントの差込口に見たことも無い大きな丸い穴が2つ。
・・変圧器要るんや。。
で、バッテリーも切れ、iPhoneはおろか、私は地球の裏側でしばらく音信不通に(笑)。。

さて、セミファイナル本番。
朝から全員のリハーサルを。
リハーサル後、昼食に出掛け、ホテルで着替え、そして車でコンサートホールまで関係者の方に送迎をしてもらう為、ホテルのロビーでセミファイナリストが大集合。
Oh my God!
誰だ、こんなに美しくセクシーな人達は!?そして、一瞬誰だか分からないくらい、化けてる、いや、変化してる(爆)!
みーんな、女優やモデルみだい。そして、特にリトアニアのシンガー達の独特の衣装なこと!
このクライペダ市というのは、特にファッションが独特な様で、身体のラインを強調したものやカラフルな洋服を好むそう。
それに、みんなスタイル良い!しかも、背高いのにごっつい高いハイヒール履いてるし!

会場に着き、いよいよスタート。
主催者Mr. Stepas Januska氏のヴォイスソロ・インプロビゼーションで開幕。

それが凄いの何の!どこのサックス奏者ですか?というハイレベルなスキャット。
あとで聞くと、彼はリトアニアで最も良く知られているポップスシンガー。
それでもって、クライペダ大学の音楽部ジャズヴォーカル科の教授をされている。
近年は彼の元で学ぶ為、首都からも移り住む人も多いらしい。

このオープニングだけでもこのコンペティションのレベルの高さが伺えた。

さて、歌う順序を決めるクジ引き。
箱の中にある数字が書かれているチョコレートをひく。チョコだよ、チョコ!しかも、地元の!粋だね!
私。

何故か初めの数名に地元リトアニアのシンガー達が入る事に。
何ていう奇遇さ。
参加者は、リトアニアから4名。1名アメリカからを除いて、全員ヨーロッパから。アジアは私のみ。
18名からのセミファイナルは3部構成に。私は1部のトリとなった。

スタート。
各シンガーの紹介をステージでは英語アナウンスとリトアニア語アナウンスの両方が流れる。
見よ、このキュートなファッションのアナウンサーを!

控え室で待機していると、会場から大きな拍手。かなり沢山のオーディエンス。Wow.
伴奏してくれるカルテットの演奏が聴こえてきた。凄いかっこ良い!
それからまもなく1人目の歌唱が。
何だ、この迫力と実力は!
次のリトアニアのシンガーの声も聴こえて来た。
・・一体、この国のシンガーに何が起きているのか?という位、また凄いテクニックと迫力。
後で聞けば、特にこの地はエネルギッシュなものを好む傾向にあるようだった。

それからグランプリになったポーランドの彼。歌いだす前まで不安げですごく緊張してたけど、私が舞台袖で応援してると、「これ、日本語だろ?」と話しかけてきた。
舞台設備の1つに”SAKURA”と書かれた機材が!恐るべし頭の良さ!いや、嬉しかった。こんな離れた国で日本語を目にするなんて!

さて、ヴォイテック、舞台に立てばめっちゃかっこ良いアレンジにインプロビゼーションスキャット!
規定曲のコードを見事なまでにハーモニーを変えていて、超モダン。
そしてキュートなルックスで女性の心は掴まれた(笑)。
声はアメリカのジャズシンガー、カート・エリングの様。それを後で「きっと言われるのは嫌だと思うけど、、」と絶賛すると、「しょっちゅう似てるって言われてる。たまに、彼を上着のどこに隠してる?なんてさ。」と。

その次に今回特に仲良くなった1人。ベルギー出身のガブリエル。
彼女はすごくエレガントでクラシックも歌っている美しい声の持ち主。
現在はロンドンに住んでいて、2国で演奏している。
フランス語で歌うシャンソンを得意とし(シャンソン、といっても日本で知られている演歌ちっくなものでなく、モダンなものも沢山あるようだ。)、この日は規定の英語曲にフランス語も付けて独特なアレンジで歌い、それにセンスの良いブラジリアンな曲を入れてのパフォーマンス。好きだなぁ、上質なベルベットの様な彼女のステージ。
今年、彼女のデビューCDがヨーロッパで発売されるそうで、PVを見せてもらったら、素晴らしい音楽だった。

で、私。はい、レポートしておきます。
”うわ、沢山のお客さん!”、というのが舞台に出た感想。
審査員席がどこにあるかも分からなかったので(開幕時、バックステージでシンガー達と雑談していたため・・)、とにかく、今この瞬間を楽しもう!とsing sing。

アップテンポの曲では前列に座って聴いていた参加シンガー達が掛け声を掛けてくれたり、色々と即興で歌詞を介してコミュニケートしてみたり。”What lovely girls!” とかマイク通して言っちゃった(笑)。
素晴らしいリトアニアのオーディエンス、素晴らしいホールで素晴らしい現地のミュージシャンと音楽を創れている事に喜びを感じ、本当にあっという間に2曲終了。

コンペティションなので、色々と各項目の点数化をされるんだろうし、スキャットもある程度明瞭に点数化する為、細かい音符でビバップフレーズも入れたりしたら良いんだろうけど、私は敢えて自然と湧いてくるものを大切にしようと思った。
後で、クロアチアからのダニエルから、
「君のインプロビゼーションは自然でオーガニックなフレーズで好きだよ。」と言われて、すごく嬉しかった。
この時、カルテットのサックスの方のソロがもう本当に素晴らしくって、ソロを聴きながら泣きそうになってしまった。

 

実は曲の間に自分でも不思議なことに、
「今紹介してもらった通り、私は遙か遠くの国・日本から来ました。ここでみなさんと音楽をシェア出来て光栄です。今、この思いを、この音楽が持つエネルギーをリトアニアから日本へ届けとばかりに歌いたいと思います。」
と何の用意もしていなかったけど、自然に口から溢れ出てきた英語のMC。
歌い終えて、舞台袖に戻るまで拍手鳴り止まず、かなり驚いてお辞儀をしてバックステージへ。

幸せをかみ締め、さて、後は観戦を楽しむぞ!
舞台を降りると参加者からハグの嵐と共に
「I love your performance!」(貴方のパフォーマンス好きだわ)
「I love your expression!」(貴方の表現が好きだわ)
「I love how you sing like a talking.」(語るように歌うのが好きだよ)とか色々シンガーから声を掛けられて、驚く。
みんな、素晴らしいよね、コンペティションで1人1人をちゃんと聴いて、コメント出来るなんて。

客席に移る為エントランスに出る。
休憩中もあって沢山のオーディエンスが歓談されていた。
ドリンクを買おうと並んでいると、沢山の人達から声を掛けられた。
「素晴らしかったよ!」
「感動したよ!」
「サインして下さい!」とか「写真撮って下さい!」etc…
現地の子供ちゃんは、恥ずかしいのか話掛けれずに後を付けて来たり。きっとアジアの女性を見たのは人生で初めてだったのかもしれないな。私の顔をかなり凝視していたし(笑)。
あと初めは何のことか分からなかったけど、「貴方に投票するからね!」と。
ここで気付いた。
ははーん、オーディエンス・プライズなるものがあるんだ、と。

「有難う。ここに来れて、そして歌えて幸せだった。」としかもう人に言えない位、私も心がいっぱいだった。

観戦編は次回へ続く。


リトアニア・レポート その5

ー2011年4月28日 前ブログからー

セミファイナル、歌い終えて会場の席に着く。残り2部の観戦なり。
14カ国から18人のシンガーが集まり、8人がファイナルへ。
実行委員や主催者が何度も言っていたのが、”どのセミファイナリストもファイナルまたは1位になり得る位の実力と可能性があって集まって来ている”と。
本当にそう思う位、レベルの高いものでした。

1人ずつは流石に書けないので全体像を。
私の予想をはるかに上回る全員の実力には本当に驚かされた。
まず、ジャズ力。
ほぼ全員がそれぞれの国や近隣諸国の大学機関で正式なジャズ教育、または現在も大学院で学んでいる子も多かった。(そう、欧米のコンペティションには年齢制限があるものが多く、今回のもしかりで若い子が多かった)
実際、アメリカで生まれたジャズはアメリカで教育を受けないと、と思っていたけれど、ヨーロッパではしっかりジャズエデュケーションのカリキュラムが成されている、と実感した。
それも、本当にしっかりとしたもの。
クラシックで培われた教育と音楽の土台があってのものかもしれない、と思った。
なので、出場者にはクラシックシンガーとしてもプロで歌っていたり、ジャズピアニストとしてライブしているほうが多い(その彼女は3位でした!)、クラシックピアニストとしてヨーロッパをツアーしている方がメイン、ポップスを歌っている方が多いだの、はたまた、TVで女優しているだのetc…
ジャズだけを歌って生計を立てているだけの子は意外と少なかった。

それでもってあのジャズ力!
まず、インプロビゼーション(スキャット)力の高さには驚いた。
コンペティションでは必ずインプロをしないといけないので、全員がほぼ全曲で披露。
教育機関でしっかりと学んでいるインプロは、しっかりと器楽奏者のそれによるもの。
理論も勿論学ぶので、ハーモニーにのっとった音使い。
また、8分音符は当たり前。時には16分音符でのビバップフレーズも簡単に出来ちゃえる。

以前のレポートにも書いたが、ヴォーカリーズと言われるジャズの器楽奏者が演奏したソロの音を聴きとって、それに英詞を付けたもの、これは相当大変な作業だが(私もNYの大学では何曲かやったけれど、特に英語を母国語としない私達日本人にとっては難しい)、これを自分の十八番としてまだ誰も取り組んだことのない自分の好きなアーティストの曲を何曲もレパートリーに持っていて、それをパフォーマンス出来る位素晴らしいレベルなのには、本当に驚いた。
相当な英語力も要る。

それからアレンジ能力の高さ。
アレンジ力も審査の内。それも欧米のコンペティションでは課題曲が決まっているものが多く、個性を出すにはアレンジも大切。
元々のコードを相当リハーモナイズして、独特のハーモニーで聴かせたり、曲の進行事体も大きく変えていたり。
本当にこれにも驚かされた。
好きなアレンジの曲を歌ったシンガーに、「あの曲の何小節目、どんなコード付けたの?」「あの譜面のコード素晴らしいわね!見せてもらっていい?」
と直接聞いて、早速譜面をメールで送ってもらったりしていたのには、何だか感動した。

あと、ステージングを知っている!
自分の身体をよく知ったセクシーな衣装や、ステージ映えするメイク。
(ただでさえ彫りが深い顔なのに、それに目をクロのアイライナーで囲う。付け睫毛を付ける。背が高いのに10cm以上あるハイヒールを履く、、、私なんてアジア人さ。ライトでのっぺらぼう、、、誰ですか、そこで笑っているのはっ!)
ステージ上での振舞い方も随分とエレガント。少しその辺りのクラッシーな感じは、ステージ上でもカジュアルがクール、とされるアメリカとは違っていた。
だけどこれは教育機関で学べるものではないはず。

あまりの違いに驚いていると、何だか色々と情報が入ってくる。
・・国で既に何かのコンテストで入賞していて、その副賞としてこの国際コンペティションの出場権が与えられている、という数カ国からのシンガーがいるということ。
・・色々な国からの審査員がいたのだが、その国でスカウトされてコンペティションの出場権が与えられた子。
だから、出場者の何人かから、「どうやって日本で情報を得て来たの?」と不思議に聞かれたはずだ、ということが段々分かってきた。

そうか、ここに来ているだけで、みんな特別なんだ!
と気付いたのは大分後になってからだった。

なので、それぞれコンペティション慣れしている感じだった。
そして、それぞれが自分の課題と、キャリアの為にリトアニアへ集結している感はあった。
ヨーロッパでは、コンペティションも何だか、エデュケーションの一環の様にも思えた。
どこかの国でのコンペティションで顔を合わせたシンガーもいたくらい。
しっかりと文化交流がなされているんだな、そして、それぞれがその中で切磋琢磨し、高めあえる環境にあるということを羨ましくも思えた。

セミファイナル自体も本当に素晴らしいコンサートで楽しめた。
何といっても、14カ国ものシンガーの歌をジャズというジャンルの音楽を通して聴けるなぞ、考えもしなかった。
それぞれが自分のオリジナリティー、国のアイデンティティーをしっかりと持った上で、ジャズを表現する。
これは採点にするなんて、相当難しいな、と感じるのはそう難しくなかった。

さて、結果、へと続く。


リトアニア・レポート その6

ー2011年5月6日記 前ブログからー

セミファイナルの結果は、イギリス、ロシア、クロアチア、ポーランド、フィンランド、ラトビア、リトアニアからのシンガー達がファイナルへ。私は残念ながらセミファイナル止まりでした。
発表があった時、セミ or ファイナリスト関係なく何人かがすごく暗くて
「どうしたの?」「おめでとう!」って私が声を掛けていたら
「なぜ貴方が選ばれなかったのかおかしい。」とか「キミが選ばれるのは当然だと思ったのに。」と私如き=他人如きで落ち込んでいるだなんて!
なんてみんな心の優しい人達なんだろう、と驚き感動した。
私もその晩は相当悲しくって、というのも、用意していた日本の国旗カラー・ワンピを着て、規定曲を含めた準備していたあと3曲も歌いたかった、というのが理由で。

結果報告と審査員からの批評を全員で聞く(全員の前で批評を言われる事については文句も出ていましたが、私は一人一人の批評が聞けて非常に為になりました)。

まず、国際ジャズヴォーカルコンペティションというくらいだから、各国から来ているということで、どこに基準を設けるか、ということが非常に難しいという事。
例えば、トルコには12音階以上にさらに細かい音程があり、アレンジの1つとしてイントロに付けて歌った国のトラディショナルソングの歌唱時、その独特の音程で歌っていた。
それが、「音程が間違っている、ピッチが悪い。」とトルコのシンガーは言われていた。
また、ノルウェーのシンガーは、「ステージ上でシャイ過ぎる。」と言われていたが、それはノルウェー独特の内に秘めた表現なだけでその一言はどうかな?と感じたり。
同じくアメリカからのシンガーにも「規定曲の君が付けたコードアレンジはモダンで独特で素晴らしかったけど、コンペティションとしてはシャイ過ぎた。」と言われていて、後で彼女は「そういうコードアレンジで敢えてそう歌ったんだけど・・・。」と納得がいかずショックを隠しきれていなかった様子で。
またドイツのシンガーは、「サックスとヴォーカルのハーモニーを付けたライン。最後の1音同士がクラッシュしていた。あの1音と、少しアグレッシブな部分が無ければね。」と言われ、少しご立腹。
というのも彼女はクラシックピアニストとして別のピアニストとツインピアノとしてヨーロッパをツアーしている方が多いらしく、ハーモニーやアレンジはお手の物。
なので、敢えて面白い2音を置いたアレンジだったけど、そこを言われたもんだから・・・。

あとは、どこかの国のシンガーの批評時、審査員が英語詞の発音についてコメントを。
アクセントかキツイとか話していたような(うろ覚え)。
だけどその時、
「日本のカオルは、日本語から来ているのか何となく僕達にない英語のアクセントがあってユニークで新鮮だった。」
と審査員が今は違うシンガーのコメント中に“日本から来ている”私の話を持ち出した。(一体、どれだけ日本のジャズシンガーの英語能力が低いと思っているのだろう、と考えさせられた)
その時、他の国のシンガー達が
「カオルの発音は全てハッキリと聞き取れる位クリアーだったわ!」
と何だか“また日本人だからと思って話し振られてるし・・・”と少し不愉快になっている私を見兼ねて話を割って入ってきてくれた。それで私は
「そう言って貰えて嬉しいけど、私はアメリカに留学して、発音はしっかり先生について学びました。」と一言だけ言って話しにピリオド。
私の批評時でないけれど、これは国際コンペならではで嵐を呼んだトピックだった。

さて、私の批評。
他のシンガーに比べて何故か酷評がなく逆に褒められるだけで、一体このコンペで何が良くなかったのか知る由もないまま時間が過ぎ去る。
とにかく、心に響いた、とはその場に居た全審査員に言われた。
またステージに立つ事に慣れている事、またステージを通して曲の持つ意味を引き出すスキル、またフレージングのスキルが高い事を褒めてもらった。
だけれども、まずはステージがあまりにも気持ちよかったので、規定の時間を結構オーバーしていたようだった。その辺も含めた曲のアレンジの再見直しを言われた。

あと、ビブラート。これも嵐を呼んだな(笑)。
ドイツのビバップを得意とするシンガーが1人審査員にいたのだけれど、彼女から私のビブラートを指摘された。「ジャズではあまり振り幅の広いビブラートは要らない、と。」
隣にいた別の国の審査員が「僕は君のそのコントロールしたビブラート使いに関心したよ。」
また隣の審査員人は「僕も同感。」と。
私「・・・(じゃ一体何なの!?この意見の違いは!)。」
そしたら、主催者&審査員であるリトアニアの彼が
「僕の中でデータは少ないけれども知っている日本のシンガーはビブラートの振り幅というより、喉でそれを作る、または僕達西洋の言語と少し違って喉から発声をすることが多いように思う。きっとそれでビブラートの種類が違うんじゃないかな?」と。
その後、すかさずノルウェーのシンガーが耳元で
「私の大学の先生でありKarin Krogと貴方がたまに使う振り幅のあるビブラートが似ているのよ。気にしないで。」と。

何だかこれに関して訳が分からず帰国してきた感あり。
だけど、よく日本のジャズシンガーを聴いてみると、実際によくビブラートをかけている(かけ過ぎも一理あり)のに気付く。
ジャズに限らず、演歌や民謡、如いてはお経においてもビブラートや『こぶし』で感情を出す、行間を埋めるような独特な効果をもたらしている事に気付いた。これには今後、リサーチしていきたいと思う。

話は反れたが、国際ヴォーカルコンペの批評は非常に興味深く、また審査員の基準もまちまちなので相当上位を決めるのは難しかったんだろうと誰もがそう思った。


リトアニア・レポート その7

ー2011年5月6日記 前ブログからー

ファイナルの日、8名の歌を聴く。
欧米のコンペティションは本選の前に必ず1日リハーサル日も設けてあったりと長期戦。
みんな、緊張をキープさせるのに本当に大変だった様子で、歌い終えてほっとしていた。
審査員も言っていたが、誰もがファイナルで1位になり得る位のレベルと個性だ、と。
ファイナルだけ見ていても本当にそう思った。
グランプリはポーランドの彼・ヴォイテック。
今年、リトアニア首都で行われるジャズフェスティバルと来年の国際コンペのゲスト出演が決定。
大きな舞台で経験を積んでもっと大きくなっていくんだろうな、と思うと私も楽しみでならない。

コンペ期間中の毎晩、街のジャズクラブやコンペ会場であったコンサートホールでゲスト演奏があった。ポーランド、ドイツやトルコ、また他国からのバンドと去年から今年にかけてリトアニア周辺国でのコンペの受賞者であるリトアニア出身シンガー達や、去年のこのコンテストクランプリ演奏も。
本当に全てが素晴らしくて、しっかりステージとしての構成もなされていて非常に楽しめたし勉強になった。
一体、この小さな国々で何が起こっているんだろう?と本当に不思議と驚きの気持ちでいっぱいだった。

段々最後の晩に近づいてきた。
クライペダ市にある有名なクラブで毎晩繰り広げられているセッションに顔を出す。

シンガー達が「ビール飲むぞ!」と飲みまくり(グラスのでかい事!)その中の1人から癖のある黒麦ビールを勧められて飲む事に。私の横で気分良くなった勢いか名残惜しいのか、アメリカのシンガーがいきなりセッションでMiles Davis の曲をかっこいいスキャットで歌いまくっていた。
批評でシャイだなんて言われていたのが嘘の様。
それを聴いていた私にリトアニアのコンペ関係者達が「カオルも次行け!」とばかりに言われ、ブルースが始まったとばかりに勝手にその日のバンドの中に入ってスキャットで参加。
何コーラス歌うねん!と突込みが入りそうな位ガンガン歌っていたら、2階からシンガー達がステージのある1階へ降りてきて口を開けて聴いている(笑)。
何か良く分からないけど、気分良く終わった(爆)。

最後の晩、ここで受賞者のライブがあり、関係者や出場者や観客で店は埋め尽くされた。
一人一人、緊張感から解放されたのびのびとした歌を聴く。本当に皆素晴らしい。
それを横で鼻歌交じりでボランティアで働いてくれていた人達も歌っているのが聴こえてきた。
何?みんな歌詞を覚えていて、しかもスキャット普通にかっこいいし!
聞けば、現在クライペダ大学でジャズを勉強中の子達や(見た目が超セクシーな大人なので全く学生とは分からず)、関係者でもジャズ好きな人達ばかり。ポテンシャルの高さに驚く。
こんな人達からサポートしてもらっているんだと感じただけで身の引き締まる思いがした。

次の朝、私以外の全員が一斉にそれぞれの住む国へ発つ。
実は私だけが乗り継ぎの便でよいフライトが見つからず、1日ずらせて出発することに。
この短い滞在ながら、地球の裏側で若い世代のジャズシンガー達が何を感じ悩み想い勉強を活動を続けているか、それを知れただけで本当に実りのある旅だった。

国が違っても皆同じ事を考えて日々音楽生活を送っている。
簡単に上手くいく事など、ミラクルなど何も無い。日々の積み重ね、結局それがあって今がある。
私を含め、みんなそれぞれの課題を持ち帰り、また何かしらの再出発を送る事だろう。

大分酔っ払っていたのがあったのか、私も初めて一人で行った国もあり、張り詰めた緊張という名の糸が切れ、気持ちのコントロールが出来なくなり、音楽が導いてくれたこの国での出会いの喜びのあまり、人前で号泣してしまった。
それには、勿論、東北大震災のあった日本から来ていたことで、本当に沢山の人達から声を掛けられ、この気持ちを日本へ持って帰って欲しい、と幾度も言われたこともある。
津波の動画を観て、地球の裏側ではあるけれど、あまりの残酷さに声を失い、しばらく現実に戻れなかったというリトアニアのシンガー。
ジャズクラブでドリンクを注文しようとバーカウンターの前で立っている私に話し掛けて来た現地のおじさん。相当酔っているようだし、リトアニア語でしか話しかけてこないし、ここはスルッと退散しようと思った矢先「Where are you from? Why are you here?」と訛りのある英語で話し出す。
「日本から1人でコンペの為に来ている。」
と伝えるといきなり体勢を整えたと思ったら、身体の前で両手を合掌し、
「そうか。良く来てくれた。僕は毎日、日本に祈りを捧げているよ。是非この祈りを日本の人達に届けて欲しい。」とお辞儀まで。
「しっかりとその気持ち、受け取って持って帰ります。」と伝える。
リトアニアには親日家も多いと聞いた。こんなカジュアルな席でカジュアルな会話。その一つ一つが私の心に刻まれていった瞬間だった。
有難う。

私が号泣しているとボランティアスタッフをしてくれていた現地の女の子にハグしてもらい
「いいのよ。心が落ち着くまで私の胸で泣けばいいのよ。 We love you.また是非私達の国へ歌いに来てね。待っているから。」と。
自分より10歳位も下の子が私を癒してくれたり。何て心が成熟しているんだろう。あの身体の温もりは一生忘れないだろう。


リトアニアのシンガーの1人。ファイナルで素晴らしい歌を披露したエディータ。彼女も美しい心が歌に表れていた1人。今後、この地域のジャズヴォーカルシーンを担って行くだろう存在であるのは確かだった。


仲良くなったシンガー達。左からドイツのジェニファー。ベルギーのガブリエル。ノルウェーのイングリット(みんな、ヨーロッパをツアーするほどの素晴らしいシンガーです)。私。
レストランへ行くと、彼女達も同じようにBGMがうるさくない場所の席を確保。それでもうるさければボリュームダウンしてもらうよう頼む!理由は、負けじと大声で話をして喉を必要以上に痛めない為。話が早い(笑)。

 


リトアニア・レポート 最終章

ー2011年5月6日記 前ブログからー

最後の晩は、ファイナリストとゲストシンガー達と、円になってアカペラで歌って夜を明かした。
同じ音やフレーズやリズムを歌わず、前の人が発した音をクリエイトしていくアカペラ。
これがまた素晴らしく、本当に一緒に声を出して幸せだった。いつまでもいつまでもセッションしていたかった。
店を去ろうとした時、シンガーの伴奏をしてくれたミュージシャンの1人で私が大いにそのプレイに惚れたサックス奏者がわざわざ声を掛けに来てくれた。
「君との演奏、凄く楽しませてもらったよ。君は本当の意味でのSinger だと思ったよ。是非また一緒に演奏しようね。」
ホテルへの道のりの足取りが何と軽かったことか。本当に光栄だった。
コンペで共演させてもらえて、本当に嬉しかったし、是非また共演させてもらいたいと強く願う、素晴らしいプレーヤーとの出会いに心から喜びを感じた。

1日残った私は、数人を見送る事に。
それぞれが、それぞれの持ち場へ帰って行った。
何て清々しい朝だったこと。
その日、コンペ関係者の方に街を案内してもらったり、お食事に連れて行ってもらったりした。
1人で最後の晩を過ごすと思うとなんとも寂しかったので、本当に嬉しかった。有難う。
再度「日本から来てくれて有難う。」と言って頂く。
私が「私もここへ来れて光栄です。世界からの素晴らしいシンガー、地元の方との交流、全てが私の今後の人生に影響してくれることか。正直、ファイナルへで国旗色のワンピ着てもう少し歌いたかったけど、それは自分に足りない所をもう一度ゼロから見つめ直して、これからも頑張って行きたい。」と言うと、すかさず彼女は、
「毎年地元であるリトアニアのシンガーがオーディエンス・プライズ(審査員とは関係なく、観客1人ずつが投票する賞)を貰っているし、今年もそうだったけど、カオルは彼女に数票の差だけだったのよ。」と。
私は結局セミファイナル1回でしか歌っていなかったのに、ファイナルまで歌っていた彼女と数票の差だっただなんて!
何て光栄な。もうそれで十分だと思った。
「アチュ ラバイ(リトアニア語で、有難う)」

コンペという名目で来たけれど、それ以上のものを体験した。
リトアニア・クライペダ市に住む心の美しい人達との交流、それはかけがえのない想い出となったし、これを機にまたいずれ必ず伺いたい、とも思っている。

私の最後の晩は、現地の人も珍しいという位の霧が立ち込めていた。
生まれて初めてみた濃い霧。何ともロマンチックな演出じゃないの。


これは復路でのラトビアのラガ空港に降り立った時のもの。

 


バルト海を渡り、乗り継ぎのフィンランド・ヘルシンキ空港へ向かう時のもの。
心に詰めてきたモノのあまりの重さに気付いた復路のフライト。
さて、私も持ち場へ帰ろうか。
もう一度ジャズを、そしてそこから自分の音楽と真摯に向き合っていこうと心に誓った。
そして今回の出会いから何かが繋がっていくことを願って。

長きに渡ったリトアニア・レポートにお付き合い下さいまして、有難うございました。
このブログに書くことによって、私の頭の中はクリアーになっていきました。
書かざるを得なかった位、カルチャーショックを受けました。
また、アメリカだけでなく、ヨーロッパ、いや世界のジャズヴォーカルシーンの一部に触れ、音楽ビジネスの盛んな日本のシーンを改めて見た時の差に愕然としました。
日本にも優れたアーティストは沢山いるけれど、それを外へ持っていく大きな流れがないこと。
もっとジャズヴォーカルの世界でも国際的に文化交流、またはそれが出来るくらいのレベルを担う正式な教育機関が増えること、そしてそこで学んだ人達が正当に評価されることを強く願い始めました。
今はまだ帰ってきたばかりで、どうすればよいのか分からないけれど、何か少しでも変化するムーブメントを担えれば、と夢は大きく持っていきたいものです。
まずは、私自身がしっかり頑張らないと。
そんな基本的な事を再度見直すことの出来た、旅でした。

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