家族感染による濃厚接触者となり、お陰様で自宅待機期間を終了しました。
奇跡的なことに、陽性家族からも誰1人とも感染せずに終えたこと、心からホッとしています。
改めまして、この間のライブキャンセル、レッスンキャンセル、その他諸々の予定キャンセルでご迷惑をお掛けいたしました。
先週末からようやく明けたので、久し振りに両親の住む実家へ帰ることに。
癌による余命宣告を受けつつも数ヶ月元気であった父に異変を感じました。
看病をしてくれている母曰く、つい先々週まで普通にご飯も食べていたのに、先週から一切口にしなくなった、と。
水分もあまり摂れない状態になり、最近は横になることが増えた、と。
私が帰った時、脳梗塞による失語症がある父ながらも「しんどい、しんどい」と口にしていて、これは今までと違う!と直感を感じました。
すぐに救急車を呼びたかったのですが、この時、父が通っていたデイサービスに感染者が多く出ていて3度目のPCR検査待ちだったのです。
どうやら母が、PCR検査待ちの人は救急車は来てくれても、受け入れ先の病院の搬送が難しい、ととある事業所から聞いていたそうで、検査結果が陰性と出るまで少し待っている間に、父の状態が急変。
よく見ると、もう意識が朦朧としてきていると母から連絡が。
ちょうどその時、検査結果が陰性だとデイサービスから夜に連絡が入り、今だと言わんばかりに救急車を呼びました。
何とか救急病院へ搬送された父でしたが、到着してすぐ、2度PCR検査を受けていました。
先ほど陰性だという結果を受け取ったばかりだったのも関わらず。
待合で母と待ち医師から呼ばれた時、父の変わり果てた姿を見て呆然としたけれど、医師から話を聞く。
・搬送が遅れていたら助かっていなかったかもしれないこと。
・最後に声を掛けて下さい、との事。
最後に⁉️
あぁそうか、コロナ禍、か。
退院か、もしもの時以外はもう入院患者に会えなかったんだ。。。
父の手の甲を軽くさすって、「家で待ってるよ」という事が精一杯だった。
母は一言も声を掛けることもなく、ただじっと見守っていた。
看護師から入院手続きの話があった。
ちょうどその時、別の救急搬送から入院になった男性がご家族に懇願しているのが聞こえてきた。
「明日、来てな。」
ご家族がすぐさま、「コロナで来られへんねん。」
やるせない。
それから数日、この緊急事態で日々激務を強いられているだろう看護師さんに毎日電話で父の様子を丁寧に教えてもらっている。
家族が出来る世話までやって頂いて、本当に頭が上がらない。
一分一秒でも懸命に独りで生きようとしている父を思うと心が痛むけれど、今は、次会えた時、伝えたい言葉をしっかり心に刻んでおこうと思う。
また、このコロナ禍でご家族の入院、また亡くなられた方の気持ちを思うと心が痛みます。
とにかくこれだけは言える事
コロナが憎い!
以前この動画を観て、随分と心の準備ができました。
人生に何度もあった大変な時は、音楽なんか何も頭に浮かばないもんだけど、しばらくすると、ふと、鳴り始める瞬間があるんだよなぁ。
ホントに不思議。
もうそろそろ動き出しますね。